---------------------------------------------------------------------------------------------------
「ほんとうに勉強ができるタイプは、同じく勉強ができるタイプにしか見分けが付かない」
何のジャンルだってそうだ。
--------------------------
新しさより、進歩それ自体にしか、みんな幸せ感を持たない。
手っ取り早いのはそう言う意味での新世代の子ども。
・・・とおそらく”こどもと言う名の新世代”であろうわたしは思う。
最近で言えば、「なんとかバブル」
こどもは新しいことにチャレンジする事自体が快楽
誰でも大人になる訳じゃなく、それをしてるまにいつの間にか死ぬんだと思う
大人がはまる、もの
いつも決まったオーダーのお酒や料理
八百長
セックス(それをできる環境、恋愛)
ドラッグ
つまりルーティンさに労働や責務や使役を伴わないもの、そういう快楽
しかも上記くらいで全部定型化できちゃう。
でもドラッグひとつにしても、農業が自由にボーダーレス化という
恐ろしく難しいことをこなさないといけない。
黄門様の印籠とかマルコポーロの通行手形が必要なんだと思う。
前者から後者へ移行する成長過程という前提で
同じだけ富の分配はしていても、幸福感に差に個人差がある
99%デモもあったけど、本当に世界に富は分配してないんだろうか?
既にしているんではないのか?だから幸福度指針でブータンが一位になるのでは。
大人が不満をくすぶらせ社会不安になるのはほとんど上記が不足するからじゃないのか?
変に厳しくして余計欲求不満をため込ませた人間がいるんじゃないのか?
ちなみにたばこを入れず、料理や食事を入れるのは科学的な味覚を一定に保てる食品があるからだ。
たばこも生鮮品も、食糧危機というより自然荒廃から来る味の格落ちに反応する。
つまり昔の方が格段においしかったものが存在するはず。
それと、新しいことを何でも吸収するのは悪や悪いこと全般も同じだ
だとしたら、どうやって子どもが子どもたり得る善悪の判断の無さの、
その客観的判断とそれらの反省点から作り得る価値基準を
悪のない純粋培養、温室栽培で
どこでどうやって身につけられるのだろう・・・?
家庭?ひらたく社会?
もしどこかで、専用の学校や学園都市があるなら、一度入ったら
合格すれば抜けるはず。
問題点は、
子どもにしか快楽を見いだせない、自子を持てない故養子を持ちたいタイプと
大人の快楽しか味わえなくなった人間が、「正しくいい子」の方をないがしろにする
一方的にそちらに、当面だけの目の前からいなくなってほしい快楽殺人的な要素
帳消しにしてやりすごしたい、残り時間を自覚した老人の言動
老人は後はどうとなってもいいからなんでもする
そしてそれらをした後に、何も進歩がない、大人側にしかいい思い出などのよい感覚が残らない、また繰り返す
そういうことではないか。
"いつでもチェックアウトできるが、立ち去ることは出来ない" 「Hotel Carifolnia」by THE EAGLES
バカに突っ走って生きれば、立ち去ることはできなくても生きられるかも知れない。
しかし、自分を偽ってバカを装って、あなたは自分を騙し続けて生きられますか?
「the foolish(道化者)」のように。
知らないなら、出ても何もならない。どこかで適当に生きて何も知らずに死ぬだけ。
でも知っていたら、出られない。
自分をだまし続けても、いつか追いつかれる。
幽閉する仕置き小屋に鍵なんかいらない。
幽閉されていることなど誰も気がつかない。
ごく限られたそれを知るものだけが知っている。
それが新たなものを呼び寄せる。
・・・ただ、何も知らないが故に怯える子どもにさしのべる手や飛び込む怖さをわかってくれる大人があったら、少
し違っていたかも知れない。
そう思う。
誰かを隠すなら修道院と思い浮かぶ。
俗世間から隔離できるからだ。
そちらの権威を利用するなと最初から釘を刺されていたのではないか?
”わたしのワインを持ってきて”
”69年からスピリッツは置いておりません”