こんがらがり:
「国盗り物語」「坂の上の雲」などで知られ絶大な人気を誇る司馬遼太郎。
「司馬」という名前の通り、馬を使う氏名である。
その作品で言う「国盗り物語」は斎藤道三や織田信長の戦国時代の物語。
つまり騎馬民族の物語なのだ。
司馬遼太郎自身、大学の蒙古語学科を卒業している。
<モンゴルの歴史のキーワード>
「モンゴル」の意味はラシードゥッディーンの『集史』に「モンゴルとは素朴で脆弱という意味」と記されている。
モンゴルの歴史
中国
モンゴル高原
夏
獫狁
葷粥
山戎
周
戎狄
秦
月氏
匈奴
東胡
漢
丁零
鮮卑
魏晋南北
高車
柔然
隋
鉄勒
突厥
唐
東突厥
回鶻
五代
黠戛斯
達靼
契丹
北宋
ナイマン
ケレイト
遼
南宋
(乃蛮)
(客烈亦)
モンゴル
モンゴル帝国
大元
明
北元(韃靼)
ハルハ
清
中華民国
モンゴル国
中華人民共和国
モンゴル人民共和国
モンゴル国
蒙古
金末期頃に東部蒙古の大勢力部族であった韃靼(タタル)族
タタル=たたら、製鉄技術を持つ部族
遊牧民契丹の王朝遼
女真の金
ウリヤンハイ部族やジャライル部族
モンゴル・ウルス
『元朝秘史』や『集史』に記録された始祖説話
タタル部やタイチウト氏、ジャダラン氏
チンギスは、1203年に高原中部のケレイト、1205年に高原西部のナイマンを滅ぼし、南部のオングト、北東部のオイラトなどの諸部族を服属させてモンゴル高原の全部族を統合し、1206年に大(イェケ)モンゴル・ウルス、すなわちモンゴル帝国を築いた。
中国を支配したモンゴル帝国(元)がモンゴル高原に北走して北元
北元のクビライの王統に従った諸部族と、これから離反してオイラト族を中心に部族連合を形成した諸部族の二大集団に分かれた。
後者はドルベン・オイラト(四オイラト)と呼ばれるようになり、前者はこれに対してドチン・モンゴル(四十モンゴル)と称される部族集団となる。
明は、四十モンゴルを韃靼(タタールの漢訳名)と呼んだため、この時代のモンゴルのことはタタールと呼ばれることが多いが、自称はモンゴルのままであり、清代には蒙古(モンゴル)の呼称が復活する。
清はモンゴルを服属させ、チベット仏教による徹底的な弱体化策を行った。
20世紀の初頭に清が崩壊すると、清朝末期の辺境への漢人殖民政策に苦しんでいた内蒙古人が外蒙古のハルハ諸侯に働きかけ、まずもともと清の支配が比較的緩かった北モンゴルでボグド・ハーン政権が樹立された。
そして隣国ロシア帝国に援助を求めた。
内蒙古各部族も帰順の動きを見せたが、露中蒙の協議の末、南モンゴルの中華民国帰属、北モンゴルの中国宗主権下の自治へと後退した。ロシアが十月革命を経てソビエト連邦となると、北モンゴルではロシア内戦に乗じて中華民国軍、白軍が侵入するが、北モンゴルが今度は赤軍の援助を得て再独立。ボグド・ハーンの死後、共産主義国家のモンゴル人民共和国を建てた。これが現在のモンゴル国となる。一方、南モンゴルの諸部族はモンゴル人民共和国への帰順や自主独立の動きがありながら、結局中華人民共和国の領内に残り、現在の内モンゴル自治区となった。また、新疆ウイグル自治区や青海省に多いオイラトは、中華人民共和国の成立にともなって蒙古族の民族籍を与えられ、中華民族の一部とみなされるようになった。