『赤鬼が泣いちゃった』私達は同じ時代を生きている-”鬼嫁の目にも涙。” 「時間ですよ」から47年
以前にも書いたが、ここは冥界である。
そして以前は天国、桃源郷であった。
海外の神話に言われる、天界・冥界・魔界の三分のうち、それに関してはある部分侵略と言っても良い。
天国は地上界へ行った。なぜそうなったのか?は今はよくわからない。
しかし、謝肉祭をし農耕を信条にする西洋の、ごく平凡な農夫たちである中流家庭の、
「土に還る」それがそうさせたのだろう。
一方、仏教が大きく面倒を見るアジアへは大打撃である。
瞑想をし、静かに余生に浸るその時間こそ、ここの特徴だったからだ。
冥界とは墓場であり、霊が完全に静かに眠る場所である。
ここの世界とはなんなのか?
それは「人生最後の団欒のひとときを迎える場所」なのだ。
過去大きく関わった生命の源である家族に見守られ出発していく、その前の家族の時間なのだ。
今日平成24年7月31日(火)の中国新聞・文化面「文学の扉/藤沢周」をみて少しほっとした。
「最後に見守る家族が先に帰って最後までつきあってくれない寂しさやつらさに気付いている、捉えている」
それらが表されていたからだ。
第147回芥川賞・直木賞
辻村深月「鍵のない夢を見る」
鹿島田真希「冥土めぐり」
脳の病気を患った夫との生活。「成仏できない幽霊」のような母親の弟との同居。
母の過去に関わる高級ホテルへの旅行で、現在こそ奇跡の様な幸福に気付く物語。
中国新聞ではほか
高樹のぶ子「霧雨に紅色吐息 香夜Ⅰ」
吉井由吉「地蔵丸」
綿矢りさ「人生ゲーム」
筒井康隆「役割演技」
などが紹介されている。
いづれも原始宗教や仏教などのエッセンスである宇宙観が根底にある作品である。
家族は最後まで見守り、地獄や魔界から襲ってくる物に立ち向かわなくてはいけない。
無邪気や天の邪鬼たちは手ぐすね引いてかわいい顔で「あそぼ?」と言ってくる。
天国が地上界へ特別エリアを組み移動したには、おそらく
「まだ残る情念への欲望」など大人が持つ薄暗さを「特別にここで解いてあげよう」
とした、そういった小さな事から、それに目を付けた悪魔や小鬼たちの悪さに耐えかねたからではないか?
そうともいえる。
しかし、西洋がこの最後の晩餐に関して絶対的な威光と権力主義を強く持つのもそうだと思う。
感謝祭への並々ならぬ執念や意気込みは海外生活を知る人々も周知のとおりだろう。
「自然へ土へ還る」ことを強要されている東洋があることを忘れてはいけない。
農業側の強気とはそれなのだ。
ホームドラマ「時間ですよ」から47年。
時代はやっと追いついてくれた、というのは辛口か。
(追記:元祖テレビドラマ「夕餉前」NHK実験放送)