夢みるように眠りたい - CMバージョン http://youtu.be/x5KpzLbB5y0
[現実]"H" Dragon Quest 3 Rondo 王宮のロンド http://youtu.be/sbKhEiE3YqA
フジコ・ヘミング ショパン ノクターン夜想曲第2番 Fujiko Hemming Nocturn op.9 http://youtu.be/pcJM4Uu2j_0 http://youtu.be/r7BFh37zuk0
すぎやまこういち; 東京都交響楽団「王宮のロンド」(王宮の夜) http://nicoviewer.net/sm14741888
http://youtu.be/Skr9hxMxw-Y http://youtu.be/WGr1_2Bj_wc
- 冒険の旅 http://youtu.be/X8MoA-VPcwE
Dragoneer's Aria: amzn.to/oSVmad
ドラクエの城の曲
「王宮のロンド(3)」
「王宮のメヌエット(4)」
「王宮のトランペット(5)」
「王宮のホルン(7)」
「王宮のガヴォット(8)」
「王宮のオーボエ(9)」
世界の構造の一部
石垣島カビラClub Medにて生まれて初めて空中ブランコに挑戦しました。
http://youtu.be/aNmR6lLmvqQ
空中ブランコ初体験 in クラブメッド・バリ
http://youtu.be/BFg8SaOrZUs
せんのすけ空中ブランコに乗る(蒜山ジョイフルパーク)
http://youtu.be/IAI8VWc0mFs
即席遊園地 - 空中ブランコ ドイツの田舎町 バード ザウルガウ
http://youtu.be/8mdqkN53sfA
東京サマーランド空中ブランコウェーブスウィンガー20110910
http://youtu.be/Y_rq3nEkqJo
【参考】
三連複の宇宙構造
地球と水平に横切る超楕円惑星
球と木星土星のような楕円周回軌道
遠い旅路
(昔は、ノアの箱舟やファンタジーの空飛ぶ船のような星間連絡船があった。戦乱により現在休航中。)
【秘密漏洩】
20年前のTDL ホーンテッドマンション '90/7/20
http://youtu.be/Z0FgIMXGuag
当初は日本で2番目のディズニーパークとして、アメリカ合衆国フロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートやフランスのディズニーランド・リゾート・パリにもある映画スタジオ系施設を建設する予定であった。しかしマーケティングの結果、日本では映画文化に馴染みがないという判断から、1993年に世界のディズニーパークで初めての海をテーマにした施設に変更された。
これはロサンゼルスのロングビーチに開園の予定であったものの、地元自治体の賛同を得られずに計画が頓挫してしまった施設「ディズニーシー」(仮称)のコンセプトを流用したものであるが、日本導入にあたっては東京ディズニーリゾートを経営・運営するオリエンタルランド (OLC) も関わり共同で新たに企画・開発されたもので、開園当初の東京ディズニーランド (TDL) の様に「全てが米国版の導入・アレンジ」という訳ではない。1998年10月22日に着工式
アトラクション
『タワー・オブ・テラー』エレベーター乗車型ホテルミステリーツアーでシー版「シンデレラ城ツアー」
基本的にはディズニーランド・リゾートのディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーや、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのディズニー・ハリウッド・スタジオにあるアトラクション『The Twilight Zone Tower of Terror』と類似してるが異なるアトラクション。
(スポンサー:なし)
『ストームライダー』巨大ストーム消滅ミッションのシー版「スターツアーズ」
(スポンサー:JCB)
『アクアトピア』水が張り巡らされたコースを進むライド式のアトラクションでシー版『カリブの海賊』
(スポンサー:なし)
『センター・オブ・ジ・アース』地底走行車とよばれる乗り物に乗り込み、神秘に満ちた地底の世界を探検
フランスの小説家ジュール・ベルヌの代表作『地底旅行』(仏:Voyage au centre de la Terre)を原作
(スポンサー:第一生命)
『海底2万マイル』ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』をモチーフにしたライド型アトラクション。 実際に水中に潜る訳ではないが、密閉されたライドによる演出で、潜水艇に乗っている様を表現している。
(スポンサー:日本コカコーラ)
『ワールプール』ディズニー映画『リトル・マーメイド』をモチーフにした、コーヒーカップのアトラクション。カップ中央のハンドルを回して速度が変わる一般的なコーヒーカップとは違い、遠心力で回るので、ゲストが座る位置によって動きが変わる。
(スポンサー:なし)
『レイジングスピリッツ』「インディ・ジョーンズと危難の魔宮」から映画『インディ・ジョーンズ』色を払拭したコースタータイプのアトラクション。マヤやインカの遺跡を暴走するトロッコ。
物語:
中央アメリカの未開のジャングルで、遺跡が発掘された。そこには火の神「イクチュラコアトル」と水の神「アクトゥリクトゥリ」が祭られていた。発掘当初、発掘物復元チームは2つの神の像が向い合せに立っていたという推測の下、復元を開始する。しかし、古文書解読チームはそれが誤りであることを発見し、急いで発掘チームに連絡をしようと現場に向かうが、怒り狂った神々の力で現場は超常現象につつまれ、レールを360度曲げる。
(スポンサー:なし)
『インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮』
映画インディジョーンズをモチーフに、ジープ型のライドに乗り込み、暗い迷宮の内部を探検する。
東京ディズニーシーのロストリバーデルタに存在する。ゲストが若さの泉を探すアトラクションである。このアトラクションは、上記のディズニーランドのアトラクションの日本版であるが、ディズニーランドでは「マーラ」という像が登場するのに対し、東京ディズニーシーのものは「クリスタルスカル」という水晶髑髏が登場する。クリスタルスカルは何にでも変身でき、髑髏や炎を吹く石像になってゲストに襲いかかる。
遺跡の外観は、ユカタン半島にあるマヤ文明のチチェン・イツァ遺跡 (en:Chichen Itza) などがモチーフ。
(スポンサー:パナソニック)
『シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ』
アトラクションタイプとしては、東京ディズニーランド (TDL)にある「イッツ・ア・スモールワールド」や「
カリブの海賊」のようなボートライド(ダークライド)2007年スタート。
物語:
船乗りシンドバッドは、仔トラのチャンドゥと一緒に「心のコンパス」を信じて、かけがえのない宝物を手に
入れるため、未知なる海へと出発する。
(スポンサー:日本海運)
リニューアル前は「シンドバッド・セブンヴォヤッジ」2006年9月29日にリニューアルのために終了。
物語:
説話物語集『千夜一夜物語』に登場する「船乗りシンドバッド」の物語を基にしている。
船乗りシンドバッドは大商人の息子であった。彼は父を早くに亡くし、そして莫大な遺産を受け継いだ。そのあまりの富は彼を翻弄し、気がついたときにはその遺産のほとんどを使い果たしていたのだった。
ようやく目を覚ました彼は残りの財産を売り払い、立派な船と冒険に必要な品々を揃えた。そんなシンドバッドの航海に同行することとなったゲスト。
舞台はバスラの港から始まる。賑やかな市場を抜け、まだ見ぬ冒険に心躍らせるシンドバッドだが、予言者は一行に忠告を告げる。予言にも関わらず船を進めて行くと、嵐の中のウツボ女たちの惑わしの声が聞こえてくる。
食料が尽きかけたときに巨大な卵を見つけ、天の配剤と喜ぶも、その卵は怪鳥ルクの卵だった。
洞窟で財宝の山を見つけるが、洞窟の主である巨人と闘いになる。
凶暴な猿人や、島と見間違えるほどの大きなクジラにまでも出会う。
果たしてシンドバッドは再び富を掴み取る事が出来るのか。
シンドバッドの声は唐沢寿明。
『マジックランプシアター』
ディズニー映画『アラジン』をモチーフにした、ステージで演じられるマジックショーと立体(3D)映像を組み合わせたショー型のアトラクション。
物語 :
映画『アラジン』とは違った独自のストーリーが展開される。ランプの魔人ジーニーと友達になったシャバーンの見習い、アシーム。ところがそのランプを自称世界一のマジシャン、シャバーンが取り上げてしまう。シャバーンはジーニーとコンビを組むが、ジーニーばかりが人気者となってしまい、そのことを妬んだシャバーンは、ジーニーが眠っている間にランプごと箱の中に閉じ込めて鍵をかけてしまう。ゲストが訪れるのは、そんな中開催されるシャバーン初めてのワンマンショー。そこでシャバーンのハチャメチャなマジックを体験する。アシームは鍵を見つけ、親友のジーニーと再会できるのか? また、シャバーンは1人でマジックを成功させることが出来るのか?
(スポンサー:富士フイルム)
『ジャスミンのフライングカーペット』
TDS開園10周年となる2011年7月18日にアラビアンコーストにオープン。
映画『アラジン』をモチーフとし、空飛ぶ絨毯を模したライドに乗って旋回するアトラクション
(スポンサー:NTTコミュニケーションズ株式会社)
『トイ・ストーリー・マニア!』
ディズニー・ピクサー映画『トイ・ストーリー』シリーズの世界観をモチーフとした、4-Dタイプのシューテイングアトラクション。2012年にアメリカンウォーターフロントにオープン予定。
東京ディズニーシー版の内容は不明。
<端>
地動説的な地球・月・太陽
天動説、13番目の月、蛇遣い座(黄道12宮)
自然の驚異としての世界の終末
地球と木星の関係-12年に一度公転の関係で出会う、星と星がこすれあう
(12使徒、12神、12柱)
おそらく 12神のうち、その内1神はどちらにも行かない。3神は上記で9神は下記に行く。
<真ん中>
ヤハウェ
ソーサリアン
黒き月(反地球)
12の月
(12使徒、12神、12柱)
天動説
惑星の配列、移動をさせて中心の星でごろごろ回す
魔術の脅威としての世界の終末
ビリヤード、ナインボール、一つの球の周りの9星
おそらく 12神のうち、その内1神はどちらにも行かない。3神は上記で9神は下記に行く。
ガブリエル(ジブリール)は両方に使徒する神。
どちらも行かないのは、ギリシャ神でいうところのヘパイストス(バルカン、ウルカヌス)だろう。
つまりこういうことだ。
ヘパイストスが使徒なら何だろう?
彼が一人だけ、辺境に飛ばされていたのだ。
それが対極の氷の星であり、そこでいつまで経っても仮初めとしても夫婦仲にならない。
かといって、生を終わらせるわけでもない。しかし少なくとも、鉱山採掘ののどかな世界だったのだ。
イフリース、イフリートは炎の神ではある。
使徒はその属性を明かしてないのだろう。そして安穏と楽園暮らしを始めたばかりのヘパイストスの元へ、
「うるさいやつら」が元の仲間よろしく押し寄せてきたのだろう。
いや、「明かしてなかった」というべきか。
しかし、元々神として君臨していると「石炭の石ころ一個」程度に見られていても、プライドだけは元のまま
高いままなのだ。
眠眠打破【極夜行】
私はおそらく、一度眠りについた。しかし、世界の維持に問題があったようだ。そして眠りかけたところを何者かに揺すり起こされた。
(「世界」過去の戦役から)氷の女王シヴァ
http://www.playonline.com/ff11/guide/development/vt/11/03-2.html
http://www.playonline.com/ff11/guide/development/vt/11/
http://www.playonline.com/ff11/guide/development/vt2/backnumber/index.html
11人いる!スピンアウトシリーズ(萩尾望都)
ヴァナ・ディール・トリビューン、バックナンバーから
【最後の竜騎士】
サンドリアの天才画家ミックの作品が、カッファル伯爵邸で新たに見つかり、数日の間、一般公開された。この絵に描かれている竜騎士の姿が話題となり、多くの人が一目見ようと伯爵邸を訪れた。
この名画“最後の竜騎士”は、かつてサンドリア王国に栄光をもたらした龍王ランペールが、当時の騎士団長だった竜騎士の功績を称えるため、召し抱えていた宮廷画家のミックに、その雄姿を描かせたもの。
その“最後の竜騎士”を所蔵していた故Caffaule (カッファル)伯爵は、有数の絵画コレクターとして知られ、この絵も含め未鑑定のままの絵画を数多く残していた。
この度、伯爵夫人の依頼で鑑定し、“最後の竜騎士”がミックの手によるものだと明らかにしたUllasa(ウラサ)氏は、この絵の価値を次の通り説明する。
「この絵は完成された名画であるばかりか、実は我が王国史にとっても、非常に意義あるものなのです」
サンドリア王国の歴史には、飛竜を駆り、大空を翔たという竜騎士が数多く登場する。しかし、ある時期から彼らは減少の一途をたどり、この絵のモデルとなった騎士を最後に、すっかり姿を消してしまった。
それゆえに竜騎士のいでたちを克明に伝えるこの絵は、王国にとって貴重な歴史遺産なのだ。Destin(デスティン)国王は、カッファル伯爵家の所有権を認めた上で、この絵を国宝と定める旨を発表している。
サンドリア国民の竜騎士に対する関心は非常に高く、伯爵夫人の厚意でこの絵が公開されると、数日の間に、噂を聞きつけて伯爵邸を訪れた人が、のべ千人にも達した。
竜騎士の雄姿は、彼らの目に騎士王国の輝かしき過去の象徴として映ったようだ。
しかし、その中には、この絵に未来を見いだした者もいた。竜騎士に見入っていた若い騎士は、次のようにコメントした。
「幼い頃から竜騎士になることを願い、騎士となり、精進してきた。だが、願うばかりではなく、決意が必要だとこの絵に教えられた。必ずや、竜騎士になってみせる!」
竜騎士がいなくなったことについて、ある考古学者は、当時、飛竜の個体数が激減していたこととの因果関係を指摘している。
「資質ある者が飛竜と契約を結ぶことで、初めて竜騎士が誕生します。ところが、飛竜の極端な減少にともなって、その機会がほとんど失われてしまったのです」
もちろん、有望な若者は、現代にも数多くいる。竜騎士が復活する可能性はあるのだ。ただ、契約する飛竜が見つかれば、の話だが。
ただ、ミックが残した1枚の絵画が、少なくともひとりの若者の心に火をつけ、竜騎士への道を指し示したことは確かだろう。
Ainworth
【星座の伝承】
はるか昔より、あまたの星々は夜空に輝き、人々の目を楽しませてきた。そして星と星は結ばれることで“星座”となり、古の英雄や伝説の獣にまつわる伝承とともに、人々に語りつがれている。
1.天に招かれしもの
“星座”を知らぬ者はいないだろう。
天球にちりばめられた星々を結び描かれる星座たちは、吟遊詩人の唄の題材や船乗りの道しるべとして、昔から人々と共にあった。
星座にまつわる古の英雄や伝説の獣の伝承も、彼らによって語り伝えられてきたものである。
果たして、それらが事実なのか、寓話なのか知る由はないが、その伝承によれば、星座となったものたちは、女神の導きで天に招かれたものたちであるという。
彼らは、なぜ天に招かれたのだろうか?
亡国の悲劇に関する伝承を2篇紹介しよう。
2.氷の女王シヴァ
むかしむかし、南方にひとりの女王が治める小さな国がありました。
女王の名はシヴァ。先代女王の遺言によって、わずか15歳で女王となった彼女に対し、伯父の公爵が後見しているとはいえ、当初、周囲の心配は大変なものでした。
しかし、頼りなげに見えた彼女は、いざ王位につくと、外交の場では無理難題を要求する大国と智謀をつくして渡り合い、また戦争となると最前線にまで赴き兵士を鼓舞したため、すぐに国民の人気者になりました。
やがて数年がたった頃には、彼女の人柄を慕って多くの商人や職人も城内に集うようになり、女王シヴァの名声は遠国にまでとどろき始めたので、彼女の国を狙う大国も簡単には手を出せなくなりました。
国民の誰もが、シヴァが女王になったことを喜ぶようになっていました。ただ、ひとにぎりの貴族を除いては。
彼らは自分たちの権力や財力が徐々に弱まっていることを心配し、彼女の後見人である公爵の下に足しげく相談に訪れるようになりました。
公爵にとっても、彼らの不満は、好都合なものでした。野心家の公爵は、実は先代女王が亡くなったときから、ずっと王の座を狙っていたのです。
未熟な女王の頼れる後見人となって、背後から国の実権を握るつもりだったのですが、シヴァは意に反して聡明でした。それどころか、今では彼の立場さえ危うくなっているありさま。
公爵は、大国と内通して支援の約束をとりつけるなど、二重三重の綿密な計画を練って、貴族たちと共に反乱の火の手を上げました。
意外にも、反乱はあっけないほど簡単に成功しました。
信頼をよせていた公爵の裏切りは、シヴァにとって予想外の出来事だったのです。彼女が、自分の身に起きたことを理解したときには、玉座に座った伯父が、シヴァを極北の地へ追放する旨を宣言していました。
あまりにも、国民の人気が高かったため、さすがの公爵も直接手を下すのはためらわれたのです。
悲劇はさらに続きました。
反乱に協力した大国は、公爵以上にずる賢かったのです。公爵に従っていた大国の軍隊は、女王がいなくなるやいなや、彼の制止も聞かずに町で略奪を始めました。
これがきっかけで公爵に対する貴族らの信頼は薄れ、やがて内乱が起こりました。この時を待っていた大国は早速介入し、事実上、小国を占領してしまいました。
公爵も命を落とし、祖国を失った兵士たちが散り散りになる中、シヴァの忠臣だったエーオマトラ率いる軍勢は、わずかな手がかりをおって極北の地へ女王の救出に向かいました。
しかし、南国出身である彼らにとって、極寒の中での捜索は困難を極め、シヴァを慕う兵はひとり、またひとりと、凍えながら倒れていきました。
やがて、エーオマトラとわずかに生き残った10人の兵士は、ついに女王を見つけだしました。
しかし、それは美しい姿のまま氷の中に眠る女王のなきがらでした。
彼らは、最後の力をふりしぼって、凍てつく鞘から剣を引き抜くと、忠誠の誓いをたて、そのままそこで息絶えてしまいました。
「我ら、たとえ氷となりても女王シヴァに従わん!
願わくば、業深きかの国に報いが訪れんことを!」
南方の大国に、なぜか雹(ひょう)が降るようになったのは、それから、数年が過ぎた頃でした。雪も見たことがない人々は、この雹が氷の女王シヴァの復讐だと噂し、恐れおののきました。
年々激しくなる雹に、すっかり怯えてしまった大国の王は、家臣に言われるがまま、女王を祭る神殿を建立しました。
シヴァの小さな国を昔から見ていた女神は、大国の王が改心したことを認めると、極北の地に降り立ち、シヴァの軍勢の怒気を静め、彼女を天へと招きました。シヴァが、いつまでも彼女の国を見守れるように……。
それ以来、南の地に雹が降ることはありませんでした。
3.隠者シヴァ
ブブリム半島の東、ググリュー洋には、かつて技術の発達した海洋国家があったそうです。
比肩する国すらない、その威光の多くが、雷で動く器具や乗り物によってもたらされたものであることは、国民の誰もが知っていました。
これらを発明したのが、哲学者のラムウでした。
古今東西にわたる膨大な書から得た知識は海よりも深いと評判で、すべての人が彼を信頼し、その言葉に耳を傾けていました。
しかし、ある日、異変は訪れました。彼の発明した計測器が「大地震と津波が街を襲う」と、予兆を告げたのです。
彼はなんども調べましたが、結果は変わりませんでした。しかも、それはわずか3日後だというのです。
突然のラムウの発表に、街の人々はどよめきました。しかし、平穏な日々を過ごしていた彼らにとって、大地震や津波が襲ってくるなど、にわかには信じがたい話。
3日後、予測どおりに大地震が起きたとき、彼の言葉を信じて高台に逃れて難を避けた人は、ほんの数百人にすぎず、多くの命が失われました。
そして、避難しなかったけれど、からくも助かった人々に猜疑心が芽生えました。この理不尽な不幸に対し、彼らは分かり易い原因を求めていたのかもしれません。
「地震は、予言していたラムウ本人が引き起こしたのではないのか?」
疑心暗鬼は噂となって囁かれ、人々のラムウをみつめる尊敬のまなざしは、いつしか恐怖や敵意をむき出しにしたものに変わっていきました。
ある日、津波で両親を失った少年に石を投げつけられた彼は、いたたまれなくなって、ついに国を出る決意をしました。
ラムウは、大量の蔵書を積み込んだ舟を、月のない夜に近海の無人島へ向けて漕ぎだしたのです……。
数十年の後、彼の発明した器具や乗り物の多くは、動かなくなっていました。それは簡単な整備すら、人々が怠っていたことが原因でした。
その頃、海洋国家の威光が衰え始めたことに気づいた獣人の帝国がありました。彼らは、今が好機とみて、大艦隊を送り込んできました。
しかし、敵の上陸を阻止する術は、既に海洋国家には残されていません。いえ、正確にはひとつだけありました。それは、自分たちが追放したラムウを呼び戻すことでした。
ラムウは島を訪れた人々の願いをなんども断りましたが、ついには断りきれなくなってしまいました。なぜなら、彼に頭を下げる人々の中に、かつて彼に石を投げつけた少年の姿を見いだしたからです。
彼は、帝国の艦隊を一望できる岬にひとり立つと、手にしたオルドゥームの杖を振りかざしました。
すると、先端から稲妻がほとばしり、次々と敵の船は炎上し始めました。
度肝を抜かれた帝国の艦隊は、急いで上陸していた兵を収容すると、慌てて引き上げていきました。
人々は勝利の美酒に酔い、ラムウの英知をたたえました。しかし、それは見せかけにすぎませんでした。
ラムウの杖からほとばしった雷。その威力は、彼らをも畏怖させるのに十分だったのです。
やがて人々は、ラムウの杖がいつか自分たちに向けて振り下ろされるという、疑念を抱くようになりました。石こそ投げられませんでしたが、彼らがラムウを見る視線は、あの時とまったく同じになっていたのです。
ラムウは嘆息を漏らすと、そのまま踵を返し、二度と姿を見せることはありませんでした。
ほどなくして海洋国家は滅びました。しかし、生き残った人々はラムウの登場を心の支えとして待ちつづけ、やがては祈るようになりました。
海洋国家を昔から見ていた女神は、残された民を哀れに思い、ラムウを天に招いたということです。
人々が、いつもラムウを近くに感じられるように……。
12使徒-12柱-12神
属性のわからない使徒(しばしば執事、メッセンジャーボーイである)
ペトロ(ペテロ)|ゼベダイの子ヤコブ|ヨハネ|アンデレ|フィリポ(ピリポ)|バルトロマイ|マタイ|トマス|アルファイ(アルパヨ)の子ヤコブ|タダイ(ヤコブの子ユダ)|熱心党のシモン|イスカリオテのユダ
十二使徒の欠員補充 マティア(マッテヤ)
その他の使徒 パウロ|バルナバ
正教会で使徒に数えられる者 マルコ|ルカ|七十門徒
マタイ
マタイ(英: Matthew the Evangelist)は新約聖書の福音書に登場する人物でイエス・キリストの十二使徒の1人。ギリシア語表記はマタイオス(Μαθθαιος,Matthaios)。マテオ、マトフェイとも表記する。聖書によればイエスの弟子となる以前は収税人であった。東方諸教会・正教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人とされる。
新約聖書の最初におさめられた福音書(第一福音書)の本文には著者に関する言及はないが、古代以来伝統的にマタイによるものとされ、『マタイによる福音書』というタイトルがつけられている。近代以降の聖書学的研究のうち、高等批評では、エルサレム崩壊に関する記述は預言でないとの推測に基づく成立年代の設定などから、使徒マタイが著者であるという見解は疑問視されている[1]。だが聖書信仰の福音派では、現在もマタイが記者だと理解している[2]。
各国語での表記は、ラテン語ではマタエウス(Matthaeus)、フランス語ではマテュー(Matthieu)、英語ではマシュー(Matthew)、ドイツ語ではマテウス(Matthäus)、ロシア語では(Матфей)となる。日本語では「マタイ」という表記と共に、まれにイタリア語に由来する「マテオ」(Matteo)という表記が用いられることがある。日本ハリストス正教会では「マトフェイ」という表記を用いる。
『マタイによる福音書』9:9によればローマ帝国の徴税人であったが、イエスの召命に応えて弟子となったとされる。『マルコによる福音書』2:13以下と『ルカによる福音書』5:27以下では同じような記述がみられるが、呼ばれた弟子の名前は「アルファイの子レビ」または「レビ」となっている。このため、伝統的にはマタイとレビ(レヴィ)は同一人物をさすと解釈されてきた。
イエスの弟子となったときの記事を除けば、聖書はマタイの言動を伝えていない。『使徒言行録』によればイエスの死後も教団内にいたようであり、キリストの昇天・ペンテコステなどの記事に名前がみえる。伝承では『マタイによる福音書』を記したと伝えられ、エチオピアまたはペルシアのヘリオポリスで殉教したとされる。
2世紀のパピアスは、マタイが福音書をアラム語で書き、弟子がギリシア語に訳したと伝えている。今日の研究はこの伝承に懐疑的であるが、マタイという名はアラム語起源のもので、彼が初期教団内のヘブライズムの中心人物のひとりであったことが伝承に反映された可能性が示唆される。
聖マタイの召命(カラヴァッジオ)1592年 - 1602年頃 サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂(ローマ)
マタイは正教会のイコノスタシスでは他の福音記者とともに王門に描かれる。マタイを描いた美術作品では特にカラヴァッジオのものが著名である。
マタイおよびマタイの福音書はしばしば「人」のシンボルであらわされる。これは『エゼキエル書』1:10に登場する四つの生き物(ライオン、牛、ワシ、人)、と福音書にあてはめられている。
トマス
使徒トマス(Thomas the Apostle, 生年不詳 - 72年12月21日)は、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。アラム語の原義は「双子」。彼に由来する男性名としても一般的に用いられている。ディディモ (Didymus) は「双子」をギリシャ語に訳したもの。ロシア正教会とその流れを汲む日本ハリストス正教会ではフォマ (Фома)。
福音書の一部写本や外典に「ユダ・ディディモ」とあり、本名ユダのあだ名とも考えられる。「双子」の名がなぜ付いたか、誰と双子なのかは不明。
使徒トマスに関して新約聖書では十二使徒の一人として挙げられるほかは、『ヨハネによる福音書』に以下の記述があるのみである。
『ヨハネによる福音書』では情熱はあるが、イエスの真意を理解せず、少しずれている人物として描かれている。(ヨハネ11:16参照)ヨハネ20:24-29ではイエスが復活したという他の弟子たちの言葉を信じないが、実際にイエスを見て感激し、「私の主、私の神」と言った。またイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも。
これを西ヨーロッパでは「疑い深いトマス」と呼ぶ。この故事は後世、仮現説に対し、イエスの身体性を示す箇所としてしばしば参照された。またトマスの言葉はイエスの神性を証するものとして解釈された。そのような解釈では、トマスの言動はイエスが神性・人性の二性をもつことを証ししたと解される。
正教会では「研究を好むフォマ」と呼び、復活祭後の主日を「フォマの主日」と呼んで、八日後にトマスがイエスにあった際の言動を記憶する。
新約外典の『トマスによる福音書』はトマスの名を冠しているが、本人の作ではなく、彼を開祖と見做した集団(キリスト教トマス派)の誰かによって書かれたものと考えられる。 『ヨハネによる福音書』における上記トマスの批判的な記述は、『トマスによる福音書』による教えに反論するために書かれたものであると、エレーヌ・ペイゲルスは指摘している。
トマスはインドまで赴いて宣教し、そこで殉教したとされているが、史実的な裏づけはない。しかし、『トマス行伝』にインドの王として記録されているグンダファルという人物が、近年発掘された当時の貨幣によって実在していたことが判明した。また、この時代から海路を通したインド貿易が行われていたため、インドに渡ったというのはまったくあり得ない話ではないといわれている。インドでは、トマスはトマの名で呼ばれ、トマが建てたという伝承のある教会がある。
ヤコブ (アルファイの子)
アルファイの子のヤコブは新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。 『マルコによる福音書』(3:18)などの使徒リストに「アルファイの子ヤコブ」として登場する以外に言行の記録は無い。
マルコ福音(15:40)に「小ヤコブとヨセの母マリア」が登場し、伝統的にアルファイの子ヤコブがこの「小ヤコブ」とされる。これと区別して、ゼベダイの子のヤコブを大ヤコブと呼ぶことがある。
マルコ福音(6:3)、マタイ福音(13:5) に、イエスの兄弟としてヤコブの名が挙げられており、西方を中心に流布する伝承では、これも同じ人物として、アルファイの子のヤコブをイエスの兄弟とする。なおカトリックなどでは実の兄弟ではなく、従兄弟とする。
この伝承では、マルコ福音の「小ヤコブとヨセの母マリア」とヨハネ福音(19:25) (イエスの)「母の姉妹、クロパの妻マリア」とを同一人物とする。また父親であるアルファイはクロパの異名であり(「アルファイ」はギリシャ語名で「クロパ」はアラム語名とされる)、ルカ福音(24:18)に登場するクレオパも同一人物とする。
『使徒言行録』(15:13)などに登場するヤコブ (イエスの兄弟)は一部の伝承ではアルファイの子のヤコブであるとされていたことがあるが、近代の聖書学者は彼らを区別する。
同名にイエスの兄弟がいる。
タダイ
タダイと呼ばれるユダは新約聖書に現れるイエス・キリストの弟子(使徒)の一人。タデウス、ファディとも表記される。
『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』で「タダイ」と記された人物と、『ルカによる福音』において「ヤコブの子ユダ」と記された人物がおり、伝統的にこの二つの名前が同一人物のものとして解釈されてきた。イエスを裏切ったイスカリオテのユダとは別人である。
概説
タダイと呼ばれるユダについての伝承は混乱している。小ヤコブの兄弟であったともイエスの親族(「主の兄弟」)だったともいわれる。いっぽうで主の兄弟ユダとユダ・タダイは別人であるとする伝承もある。
タダイと呼ばれるユダは、西方ではイエスを裏切って自殺したイスカリオテのユダとの混同を避けるために意図的に軽視されてきたようで、「忘れられた聖人」とさえ呼ばれた。それは西方の信徒たちがユダの名において祈りを捧げるのを避けたためであった。西方ではユダは敗北者の守護聖人になっている。
一方、タダイは伝承ではバルトロマイとともにアルメニアに宣教したとされ、この地方では篤く崇敬される。アルメニア使徒教会の名は、「タダイとバルトロマイによって建てられた教会」を自負するところから来ている。
新約聖書ではタダイと呼ばれるユダに関する記述は少ないため、以下の情報はほとんど伝承によるものである。
イエスの出身地と同じ地方であるガリラヤのパネアス生まれのユダは、イエスに従った婦人の一人(クレオパの妻)マリアの子であったという。父クレオパはキリストの復活をおそれずに述べ伝えたために殺害されたという。ユダの兄弟の一人である(小)ヤコブは初期からイエスに従った弟子であった。小ヤコブは一部の伝承において『使徒言行録』等に現れる主の兄弟ヤコブと同一視され、「主の兄弟ユダ」とユダ・タダイの同一視が生じる。ここでは、彼らの母クレオパのマリアが聖母マリアの従姉妹であるとされ、このことが「主の兄弟」つまりイエスの親族という呼称の根拠であるとされる。この伝承は主に西方で流布している。
一方で、東方の伝承には、主の兄弟とはナザレのヨセフの子でイエスの異母兄であるとする伝承系統があり、ここではユダ・タダイは主の兄弟とはみなされない。
イエスの親族(主の兄弟)ユダは後に結婚して子供をもうけたようで、95年ごろに生存していたユダの子孫についての言及がある。
古代の資料では主の兄弟ユダがユダヤ、サマリア、イドマヤ、シリア、メソポタミアからリビアで福音を宣教したとされ、62年にエルサレムに戻って兄弟シメオンのエルサレム司教としての任命において協力したといわれている。このユダは兄弟シモンと共にペルシャで殉教したのではないかと考えられている。伝説では彼の遺骸はローマに運ばれ、現在のサン・ピエトロ大聖堂の場所に埋葬されたという。
ユダの絵は、しばしば光冠を伴って描かれるが、これはユダが他の使徒たちと共に聖霊降臨において聖霊を受けたことを示している。
信仰
西方で「忘れられた聖人」ユダへの信心が盛んになったのは、1800年代に入ってからである。それはイタリアとスペインで起こり、南アメリカを経由して1920年代にシカゴからアメリカ合衆国全体へと広がっていった。(聖ユダはシカゴ警察の守護聖人である。)聖ユダへの九日間の祈りは特にヨーロッパからアメリカへ渡った移民たちによって世界恐慌から第二次世界大戦にいたる困難な時期によく唱えられていた。
1001のランプが組み込まれた世界最大のオイルランプはインドのケーララ州クータットゥクラム (Koothattukulam) の聖ユダ教会に設置されている。聖タダイの記念日はカトリック教会では10月28日であり、正教会では6月19日に祝われている。
熱心党のシモン
熱心党のシモンは、十二使徒の一人。ペトロと呼ばれたシモンとも、イエスの兄弟シモンとも別人(ただし、後者に関してはカトリック教会では同一人物とされている)。新約聖書中では、共観福音書と『使徒行伝』に、各々一度名が見えるだけで、それ以外に言及されることは無く、この人物の詳細は、全くわからない。
彼についてのギリシア語原文の該当箇所は難解である。この人物に言及した最古の史料は『マルコによる福音書』[1]であり、その他、彼に関する新約文書の言及箇所は、この福音書を写したものである。マルコ福音書の該当箇所は、「熱心者 (καναναιος)のシモン」と記されている。これを写した『マタイによる福音書』[2]も全体の文体を変えてはいるが、「熱心者」という呼称をそのまま用いている。この語は、「熱心党員 (ζηλωτης)」を指す一般的なものではなく、実は、何を指しているのか不明である。「熱心党」を指すかもしれないが、律法(トーラー)に熱心な者を意味しているかもしれないし、また他の解釈も可能である。
一方、『ルカによる福音書』[3]は、マタイと同じく、マルコを写しながらも、この語を「熱心党員」と置き換えている[4]。しかし、ルカ文書(『ルカ福音書』と『使徒行伝』)は、このシモンに関しては、全て『マルコ福音書』の記述を写しているため、ルカに従ってただちにシモンを熱心党員と考えることはできない。
ちなみに、日本聖書協会の訳(口語訳、新共同訳等)は、これらをすべて「熱心党」で統一しているため、読者はその違いに気付かない。外典の中には、明らかに後世の創作であるが、幾つか熱心党のシモンについて記述しているものがある。
伝承
後世、いくつかの伝承がつくられた。シモンの後半生については、エジプトに伝道したというもの、ブリテン島に伝道し、教会(おそらくはグラストンベリー寺院)を建て、そこで殉教したというもの、名前からの連想と思われるローマ帝国に対するユダヤ人の反乱に巻き込まれて殉教したとするものがある。
もっとも流布している伝承では、エジプトに伝道したのち十二使徒のひとりであるユダ・タダイとともにペルシアに行き、そこで殉教したとする。ヤコブス・デ・ヴォラギネの『黄金伝説』には、この型の伝承が収録されている。
ペトロ(ペテロ)
本名はシモン(ヘブライ語読みでは「シメオン」שמעון。「シモン」は「シメオン」の短縮形)であるが、イエスにより「ケファ」(アラム語で岩の断片、石という意味)というあだ名で呼ばれるようになった。後に同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」(主格。格変化語尾を除いて名詞幹のみにしたカトリック教会の慣用日本語訳表記で「ペトロ」となる)という呼び名で知られるようになる。「ペトロ」はカトリック教会とエキュメニズムの『新共同訳聖書』の表記法であり、日本の聖書用語に大きな影響を与えたプロテスタントの『文語訳聖書』とプロテスタントの他の翻訳では「ペテロ」と表記される。[1][2]
パウロも書簡の中で、ペトロのことを「ケファ」と呼んでいる。この名はイエスが「私はこの岩の上に私の教会を建てる」[3]と言ったことに由来している。この一節は全ての共観福音書に見られるが、ただマタイのみが「天の国の鍵」をペトロが受けるだろうとしている。
また、「ペトロ」は聖ペトロにちなむヨーロッパ諸言語の一般的な男性名としても用いられ、現代言語では英語のピーター、フランス語のピエール、イタリア語のピエトロ、ドイツ語のペーター、スペイン語・ポルトガル語のペドロ、ロシア語のピョートルなどのように発音される。
日本正教会では教会スラヴ語から「ペトル」と転写する。正教会ではペトル(ペトロ)を首座使徒との呼称を以て崇敬する。
ヨハネ
また、『ヨハネ福音書』ではイエスの墓が空であることを聞いてペトロとかけつけ、真っ先に墓にたどりついたのもこの弟子であり、伝統的に使徒ヨハネのことだと信じられている(これについては「イエスの愛しておられた弟子」を参照)。
ヨハネおよび『ヨハネの福音書』はしばしば鷲のシンボルであらわされる。これは『エゼキエル書』1:10に登場する四つの生き物に由来し、それぞれ四人の福音記者と福音書にあてはめられている。
アンデレ
『マルコによる福音書』によると、兄ペトロと共にガリラヤ湖で漁をしていたときに初めにイエスに声をかけられ、弟子となった。弟子のリストの中でもペトロ、ヤコブ、ヨハネについで4番目にあげられている。
『ヨハネによる福音書』では、シモンとアンデレの兄弟はもともと洗礼者ヨハネの弟子であったが、イエスを「神の子羊だ」というヨハネの言葉を聞いてイエスに従ったことになっている。(ヨハネ1:40)他には、五千人にイエスが食べ物を与える物語では、アンデレはパンと魚を持った少年を連れてきてイエスに紹介し、食べ物が増える奇跡を導く役割を果たしている。(ヨハネ6:8)また、ギリシャ人がイエスに会いにきたときも、その間を仲介している。(ヨハネ12:22)
エウセビオスは、オリゲネスが「アンデレは小アジアとスキタイで伝道し、黒海に沿ってヴォルガ川まで行った」と述べた、と伝えている。そのため、アンデレはルーマニアとロシアの守護聖人になった。アンデレはルーマニアではアンドレイ(Andrei)、ロシアではアンドレイ・ペルヴォズヴァーンヌィイ(Андрей Первозванный)と呼ばれる。伝説上ではアンデレはビザンティウムの最初の司教であり、そのため正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁は初代総主教をアンデレとしている。
処刑される聖アンデレ(ベリー公のいとも豪華なる時祷書より)
また伝承ではアンデレはギリシアのアカイア地方でX字型の十字架で処刑され、殉教したことになっており、絵画においてもしばしばX字型の十字架と共に描かれている。十二使徒のひとりとして崇敬され、カトリック教会、正教会、聖公会などで聖人とされる。前述したロシアとルーマニアのほか、スコットランドとギリシャでも守護聖人とされており、アンデレが処刑されたとされるX字型の十字架は「アンデレの十字架」と呼ばれ、アンデレを守護聖人とする人物や団体の旗や紋章に採り上げられる。スコットランドの国旗「聖アンドリュー旗」(セント・アンドリュー・クロス、青地に白)、ロシア海軍の軍艦旗「聖アンドレイ旗」(白地に青)などが有名である。ロシアでは「聖アンドレイの守護勲章(орден Святого Андрея Первозванного)」と呼ばれる勲章も存在する。 ブルゴーニュ公フィリップ善良公はアンデレを守護聖人とする金羊毛騎士団を設立し、白地に赤色の聖アンデレ十字を騎士団及び公国の旗として用いた。この旗は騎士団を継承したスペイン及び同領ネーデルランドで使われた。
フィリポ(ピリポ)
フィリポという名前はギリシア語の男性名で、ユダヤ人としての名は別にあったと想定される。なおフィリポ、ピリポという表記は「馬を愛する者」を意味するピリッポス(フィリッポス)の、日本語聖書翻訳の新共同訳聖書における、格変化語尾をはずして名詞幹のみにした慣用表記である。
フィリポは四福音書の十二使徒のリストすべてに登場するが、その記事はあまり多くなく、『ヨハネによる福音書』に集中している。それによればフィリポはベトサイダの出身で、イエスに直接招かれて弟子になる。フィリポは知り合いのナタナエルにイエスを紹介し、ナタナエルも弟子になった。また、「ギリシャ人」(これはギリシア語を話すユダヤ人である可能性もある)がイエスに会いにきたときには、まずフィリポに仲介を頼んでいる。
記念日はローマカトリック教会においては5月3日(1969年以前は2月24日(閏年の場合は2月25日))。正教会においては、11月14日(ユリウス暦をもちいる場合、グレゴリオ暦11月27日に相当フィリップ(フィリポ)の祭日をもって、降誕祭前の斎の開始とし、これを「フィリップの斎」と呼ぶ。
バルトロマイ
バルトロマイ(ギリシャ語:Βαρθολομαίος、英語:Bartholomew)は新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。日本正教会では「ワルフォロメイ」と転写される。
皮剥ぎの刑で殉教したといわれ、ミケランジェロの「最後の審判」にも剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれている(この皮の顔はミケランジェロの自画像になっている)。バル・トロマイという名の語義は「タルマイの子」である。記念日は8月24日とされる。
共観福音書の弟子のリストではバルトロマイとしてあらわれるが、他に記述はみられない。上述のバルトロマイの語義から、彼の実名ではなく、父親の名前に由来する呼び名と思われること、ヨハネによる福音書の弟子のリストではバルトロマイの名前はなく、代わりにナタナエルという人物があげられていることから、伝統的にバルトロマイの本名がナタナエルであるという見方がされてきた。
ゼベダイの子ヤコブ
9世紀、遺体がサンティアゴ・デ・コンポステーラで奇跡的に発見された。時はイベリア半島においてレコンキスタの最中で、イスラム勢力と闘うキリスト教勢力を守護するシンボルとして崇められた。このためスペインの守護聖人とされる(聖ヤコブはスペイン語で「サンティアゴ(Santiago)」となる)。
サンティアゴ・デ・コンポステーラは、イベリア半島のみならず、西方カトリック世界における代表的な巡礼地となり、三大巡礼地のひとつに数えられるに至った。巡礼路は整備され、巡礼を世話することを目的とする修道院が配置されるに至った。いまも同地は巡礼の聖地として信仰を集めている。巡礼路の中核をなすものは、隣国フランスに発し、ピレネー山脈を越える巡礼路である。詳細はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を参照。
ホタテ貝はヤコブのシンボルで、フランス語ではホタテ貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼ぶ。
英語圏で多いジャック(Jack)の名は、彼の名(ジェイコブ)か、あるいは旧約聖書に登場するユダヤ人の祖ヤコブに因むJamesまたはJacobの愛称である。ただし、ヨハネを表すJohnの愛称である場合の方が多い。なお、フランス語のジャック(Jacques)はヤコブに相当する名前である。
カトリック教会における記念日は7月25日。正教会での記憶日は4月30日(ユリウス暦を使用する正教会では5月13日に相当)。
イスカリオテのユダ
多くの「最後の晩餐」を描いた絵で、ユダは次のように表現されている。 一人だけ、頭に光冠が描かれない。
一人だけ、机の反対側に座っている。
衣は黄色の場合が多い。(英語で「腰抜け」という意味がある"Yellow"はユダが黄色の衣を纏っていたからである) 有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』では、伝統的な表現法を廃し、みなと同じ側に座らせ、金の入った袋と思しきものを握らせている。
ダンテの叙事詩『神曲』地獄篇においては、地獄の最下層、裏切者が葬られる地獄第九圏の氷地獄コキュートスの中央で、魔王に噛み締められるというもっとも残酷な罰を受ける最重罪人として描かれている。コキュートスは四円に区切られているが、このうち中央の円はユダに因む「ジュデッカ」と命名されている。
邦題『最後の誘惑』として映画化されたニコス・カザンザキスの小説『キリスト最後のこころみ』は、イエスに信頼され、裏切りの役を引き受けるというユダ解釈を示している。
太宰治の短編「駆込み訴え」は、イエスを裏切る愛憎入り混じった複雑な感情を、ユダの一人称独白体で描いている。
ロックオペラ『ジーザス・クライスト=スーパースター』では、ジーザスを愛するがゆえに、その暴走を止めるために裏切る。そしてその役目を負わせた神に呪いの言葉を吐き、自殺する。
ヘンリック・パナスの『ユダによれば 外典』では、ユダは現実主義者の商人として描かれ、ユダを通して語られるイエスも神の子ではなく天賦の才を持った人間として描かれる。ユダはイエスのことは裏切っておらず、教えを引き継ぐように言われる。しかし、誰ひとりとしてユダを信じようとはぜず異端者扱いされた、としている。
安彦良和の漫画『イエス』では、ユダはイエス一行の会計係として登場し、イエスの正体を見極めようとして行動を共にする現実主義者として描かれている。またイエスに敵対する大祭司カヤパのスパイとしても暗躍し、イエスを利用しようとする熱心党のバラバの行動にも注視している。作品に登場する架空の弟子ヨシュアに裏切りを非難されると、イエスについて「ただ並よりも物事のよく見える人間」であって、彼を救世主に祭り上げたのは弟子たちの愚かさによるものだと語った。
「エロイカより愛をこめて」青池保子(おそらく12使徒を描いたマンガ)

http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4023985.html