世間の皆様に:69年は国際エロ年。実は超能力者とかぐや以外きれいに旅立った @tanabe1969 「11人もいる!」みんな無事にALL UPしました!http://blog.tvasobi.jp/entries/view/11nin/13993
バブル世代はとても賢かった。が、それを利用した少し後の世代はとても使うのが上手かった。そしてそれ以上にエロ浄土極楽の才能がダントツだったのです。
そして旅立ってない人の理由はこうところから発生しているのではないだろうか。
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件の旅立った人々は、そういう生まれだったとしても、子孫を学生時代の内に残して何も知らないうちにきちんと一族内で”始末をつけた”
そういうのができない、利用するだけと言った悪い者達に利用されている、等色々考えられる。
指摘できる点は世の中のいろんな表現として作品の中にも見られる。やはり穿っているが批判的な眼で見ればそうなのだ。
1つめの出来事は
「旅行中に、海外で戦争があり、帰国すると知人が姿を消していたと後に気がついた」ということ。
無言の
「『遠くにいてもつながっていられる』というけど実際にやりとりをしない、またはすると不満がる人は本当に仲が良いの?」というあけすけな疑問のつぶやき。
それは「ある意味なんて頭がお花畑なんだろう」という穿った見方も出来る。
でふれたのだけれど、
ふと、気がついたのだ。
”1920-30年代生まれ~80-90年代生まれの60年サイクル”
1966年昭和41年が丙午で60年ごとに周期的に繰り返す
その年代に最初に生まれた人が一番周期に乗った人で、逆の丙午は周期が落ち込む
その黄金世代に食い込むために利用しても構わないという考え方。
丙午信仰というものを頑なに信じているという「毒になる親」的な世界を指摘してみたが、
その裏付けにそういう生まれの周期の無言律があったことを。
なんとなく世の中に漂う「誰か判らないが、底上げやフォローの為の歯車的人生」という、
小説にもよくある題材の正体とはこれではないのだろうか。
「仕事用のロボットなんだよお前」という「11人もいる!」の真田君の指摘は、ストレートに当を得ていると言える。
しかし彼がそれを自己の支配願望の独白と、否定できる材料も無かったのだ。
だからずっと実はクーデターや謀略の嵐でうまく抜けたい”日本に押し込められた人”
そういう時代を来ているのかもしれない。
もしかしたら、戦国時代からずっと。
だから、「戦国~江戸まで歴史はなかった」という時空の話とは別に、現実へのリンクはそこなのかもしれない。「戦国自衛隊」とかあるわけだしね。
46年--> 20-30+ 80-90
106年-->
166年
226年
286年
346年
406年
466年
526年
586年
646年
706年
766年
826年
886年
946年
1006年
1066年
1126年
1186年
1246年
1306年
1366年
1426年
1486年
1546年
1606年
1666年
1726年
1786年
1846年-->1820-30+1880-90
1906年-->1880-90+1920-30
1966年-->1920-30+1980-90
迷信云々というのは社会を、一方的に無知蒙昧な人々だと断定しているからなんでは?
ただし丙午の周期の波が弱く悪い人を創り出すこと自体は私は信じる。
が、別に社会の無言律の強者側の集団の要素を知ったからと言って、組入ろうとは思わない。
そういうのはどうでもいい。
それよりそれを悪用しようとする人々、たとえば子殺しを正当化する、強い世代が継ぐ為に作るのではなく、それを狙うまたは残虐な内心を「無礼講」として殺しに使う、そういう繰り返しがよくないと思うだけだ。
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そして、戦後になっても「丙午」の迷信は尾を引き、1966年(昭和41年)の丙午では、子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が地方や農村部を中心に多く、出生数は136万974人と他の年に比べて極端に少なくなった。この昨年および翌年の出生数が増えたのは丙午の余波といわれる。なお、出生数が1966年を下回るのは本格的な少子化時代に入った1987年以降である。1966年に生まれた子供は人数が少なかったことから、この学年度の高校受験、大学受験が他の年より容易だったのかについては当時からしばしば論じられた話題であったが、大学一般の入学率については有意な差がみられないものの、国公立大学への進学率については1985年において上昇していることがわかっている。またこの年の子供は第一子(初めての子供)である比率が50.9%で過去最多であり、少子化が進んだ現代でもこの数値は超えられていない。
当時の日本でも丙午に対して疑問がなかったわけではない。1965年11月に、山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」が展開され、同月21日には市内パレードで啓発を呼びかけている。同法務局によると、子どもを産む産まないで、離婚調停に至ったとか、近所から嫌がらせを受けたなどの相談が多発したためである。また、群馬県粕川村でも同様の運動が行われている。文仁親王妃紀子が1966年の丙午生まれということで、最近はこの迷信も薄まりつつある。