精神的キャパや脳の容量が同じなら、
きれいに体を動かしたり、美的なことへ使う能力のために、他の思考や精神的制御が少なくなり
ゆったり構え、その分鈍重な雰囲気になる人とは違ってくる
私は当然の様に彼らは彼らだけの象牙の塔でこもり生きるべきだと思うが、
後者へ甘えることは芸術や化学や数学に秀でた者の特権だと考え、やめない
後者はトレードするものでもないから拒否したい
農民は後者のような人が多く、アメリカはそういうサラリーマンである
芸術、音楽家、ダンサー、数学、化学などそういうジャンルでのアーティスティックな前者
科学者にはいない
農民と同じく骨太だから
脳の容量が大きければ、気持ちもゆったりしている
でもとぎすましたタイプを優先して、脳が巨大化するタイプは
成長支援の優先してくれないらしい
ある一定サイズがサラリーマンに、または芸術家になるらしい
嗜好、指向、性格としてある一定サイズのタイプしかアートを追いかけないから、
「研ぎ澄まされる=減点」になるのだ
しかし巨大な脳の生き物を神や王と崇めたりするが、そういうわけではなく
巨大な脳の持ち主は専業的なアーティストはあまりいない。
社会を構成する人達は後者、王位やリーダーも執事もそう
前者は番頭さんとか、片腕とか、そういうタイプみたい
芸術家アーティスティックなことへどうも一生かけて追いかけられるのはそういうタイプみたい
どうも暴走もおなじく後者のタイプみたい
それは減点してある一定容量内を身体の制御に使ったり、数学的な構築に使っている分、
感情や情動の制御には足りなくなってしまう、神経質に結果的になってしまったタイプ
同じタイプが職業として農民で暮らしていると、それはせず自然への理解などへ方向性を向けているので人間関係を
まとめたりはできないが、感情的には豊か
でも基本的にはどちらも、同じ容量の脳の同じタイプ、ただどうやって生きてきたかが
専業、専門的になりすぎて偏っただけ
社会のアイデアと構造変化への対応がうまくいかなくなる
日本は土地が少なく中間的な農民、サラリーマンが魅力を感じて定着する要因が少なく、
土木や工学的に専門か、ダンサーやアートに専業かへ憧れやすくなるみたいだなと思う
そういう時にそれが、同じ前者のタイプの子どもの方と同じタイプの中年を間違えてしまったのかも知れない
前者タイプの子どもを連れてくるしか、日本にいるはずがないけど、少数派ながら子どもの方がいる。
代わりに同じ前者タイプの老境にさしかかったタイプがいない。
こういう後者のタイプは、日本だけじゃない、どこにでもいる
言ってみれば、前者は天才肌、後者は秀才肌 そして前者は世界的に少数派、後者は大多数だと思う
そして後者の中に、いわゆる前者のメイン業の農業、科学の研究機関に関連する会社や
関連研究機関で働き、天才達と仕事できることに憧れ喜びを感じるタイプはなかなか辞めないだろう
そういうのは外部とは接触せず、独自で研究機関が立っていると思う
アメリカや中国やヨーロッパなどにぽつんぽつんとある、そういうもの
たぶん一緒には居ないけど、本人達がうまくやったために、関連として働けるんだと思う
そして退職して農地を買い、隠居生活的になった後者が日本には帰ってこず、蓄積され大集団になる
移民ではなく、最初は仕事や大学などの研究機関から渡米や渡欧、途中した人々
ということは、ぽつんと前者タイプが生まれてくるのはいつでもどこにでもある
そしてそれを探し出すのはいつでも難題の懸念事項なんだと思う
だって異色だから、混じれば社会不安の種になるもの。
まとめると、脳容量が違う2種類・脳容量の片方のタイプと、もう片方の大多数の人々の百姓社会と島暮らし社会の3種類
またそれぞれ脳が萎縮してきた老人が含まれる。
脳にも一生と代を経た成長曲線があるはずです。
萎縮じゃなくてこれから育つ”こども”に田舎づくりを任せてないだろうか?
それに日本には昔ながらの「島暮らし」の人々もいる。
つまり日本の中の沖縄や佐渡や島々などと他のアジアやハワイや太平洋の島々と、
イギリスや北欧やスリランカ、地中海のシシリアなど
日本にこういう前者タイプの子どもがいなければ、同じ後者だけのそういう意味での前者の居る
他のタイプの社会にまったく接しない、そういう暮らし方の人達
主に漁師などの暮らしの人達
その人達はこういうことは知らないし、また知る必要もないと考える人々もいるはず
”前者の居るいつも子ども捜しをする協力体制を引かないといけないタイプの社会にまったく接しない、そういう暮らし方
”
他の国の後者のタイプ、同じだけどそれぞれ性格タイプで違う、肌も色も違う人達と同じ面と
同じように中年以上になり脳が萎縮した前者タイプに来てもらうことでたぶんぶつかるから
年配ということは、「おもてなし」しないと感情的に収まらない面はたぶんあると思う
世界中の研究機関のある場所には前者のタイプがいる
ただわたしはどうしても「成長余力」とか「将来性」「子どもという存在が考えがちなこと」に眼が向きがちなんだけど、
後者のタイプは「老人」をキーワードに考えられる
同じ脳容量が大きいが、老人になってもしくは老境にさしかかって
脳が萎縮してだいたい同じくらいになるタイプ、そういう人を田舎の農民にすれば
田舎暮らしや田舎へ訪ねてゆったりできる
それは一代のことではなく、長期スパンの代を経て変化する長期的な成長や人生のこと
過去努力してそうやってうまく選り分けて住んでもらったんだと思う
構造変化とはそういう人達が代を経て、だんだん死んでいなくなって少なくなったんじゃないのかな?
今って、たぶん、外国人側のエリアの天才肌の隠居した人達が、他の人のそばに少し離れて作った、
アメリカや広いところなら、場所は広いから、そういう場所にできた「田舎の雰囲気」
そういう場所へ後者の人達の社会がグリーツーリズムで観光に行っている、そういう状態だと思うよ
そしてそういう外国人側は嫌がらないけど心配していたり、嫌がっている場合もあるからもしれない。
そして日本人の前者のタイプの老人は今でもちゃんと日本にいる。
ただ少し若い老人になりかけた前者タイプが本当ならもっと老人をサポートしながら、
一緒に田舎を維持していく筈なんだけど、そういう状態なんだと思う。
つまり、いつも必ずアメリカなり中国なり外国なり内部で分かれたまたは郡や州の外国人同士で協力体制を取り、子ども捜しに協力することで研究機関のある外国やその近隣に住める土地なのか
もしかしたら、その前者の人そのものを欲しがる人がいたらそういうのを諭す説得なのか
それとも、自分達で島暮らしなり、外部と接触しない田舎暮らしを求めるから、その代わりの食料やお金なのか
それとも組み合わせ違いや前者の人々の産み出す所産や研究結果や特許の開示なのか
他の国や場所でも同じようなことが起こってるかもしれないよ?
欲しいものは絞って、それを出来る同士で暮らした方が幸せだと思う・・・。
多分、もしその研究機関のあるような、またそういう所に主に仕事する外国暮らしがしたいお母さんが代を超えて居住する時、「自分の子ども捜し」をする時がそしてその子を養子の形で自分の手元へ引き取りたくても交渉やまた連携を社会的に取る必要がある時ができると思うんだよね・・・。
「あのぅこういう事があるんですけど・・・」とある人が相談した年配の風格のある男性が「ハッハッそんな事あり得ないよ」といなされて帰った後にコッソリ信用できる相手に℡したりするよ、多分。それに大人はネットで情報が転がっていても同じくらいの世代の発言を確認して裏を取ってから動いたりする。”子ども同士”連帯で大人と競争していて、子どもが大人に伝えない様に抑えるリーダーも